【袖留橋の別れ】  1615年大坂夏の陣の時 合戦に向けて忠政後の忠真(ただざね)は 兄の忠脩(ただなが)と共に大阪城へ 向けて松本城を出発しました  城下町の外れにある橋🌉 今の緑橋に差し掛かった時 一人の女性が忠政の後を追いかけて来ました それは幼い頃から忠政を見て来た【乳母】  年若い忠政を戦で失うかも知れず 乳母は忠政の袖を掴んで引きとめました 二人は暫く別れを惜しんだそうよ  その後忠政は乳母の手を振り切り 出陣してしまいました 乳母の手には千切れた袖が 残されていたそうですよ💦 それ以降この橋は 【袖留橋】と呼ばれたとさーっ 水分補給忘れずに… 一息吐きながらがんばッ🍀
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